今考えるとアホみたいに無謀なんですが、でも自分のやりたいこと見つけて、ちょっと浮かれてたこともあり。そしてその友人は、ビジョンに溢れる起業家さんたちを中心に投資するキャピタリストだったので、なんとなくわかってくれるかなという甘えがあったことも否定できない。
で、その結果。
「それアナタがやる意味あるの?」と言われ、返答に詰まる。
さらには「傍観者に何が分かるの?」「何で現場行かないの?」とも言われ。
自分の企画の薄っぺらさを突かれた上、市場競争という視点が欠けていたことにそこで初めて気づかされました。確かに自分が出来ることを中心に考えていたから、市場から見たときに私がそのビジネスを手がけるうえでの競争力が何かということを、Kさんに言われるまで全く考えていなかった。それに私は研究者にしては比較的現場に出ているほうだとは思うのですが、所詮は第三者であり中途半端だという事実を突き付けられ。さらにそれを100%否定できない自分にもガッカリです。
満身創痍で帰宅する私。しばらくKさんには会いたくないとまで思ってしまった。
でも、その後たまたま彼の支援を受けている友人Mさんに会う機会があったので、そのサンドバック状態を報告しました。するとMさんいわく、それはKさんなりの応援の仕方なんだそうです。
その「自分がやる意味」という問いは、元コンサル・現VCという立場のKさんも同様に悩み抜いているところであり、自分が苦しんでいるからこそ私にも問うてくるのだし、逆に私が回答を持っているのであれば応援するよ、という意味なのだとのこと。またVCとして投資先がライバルに負けていくところを見ているからこそ、本気で「私がやる。私でなければ、やれない」という強い意志と意味がないと競争に負けるということも分かっており、そこをまずは私に問いたいのだということ。そして安易な賛成も無関心も示さなかったということは、Kさんが私を大切にしてくれているからこそであり、応援の気持ちでもあるのだということ。
私はそんな意味は全く汲み取れていなかったので、びっくりしました。そしてすごくありがたかった。
私のアイデアはソーシャル色が強いものなのですが、そういういわゆる「いいこと」のビジネスだと「それいいね」「必要とされてるよ」という肯定的なコメントばかりをいただきやすいんですよね。志を持って頑張っている人にネガティブなコメントをするのは難しいですから、多くの人は細かいところに目をつぶってでもポジティブなことばかり言うでしょう。でも私はそうやって周りが無意識に煽った挙句、プランに隙ができてビジネスとして立ちいかなくなった例を見ていまして、その怖さを痛感しています。だから、自分にとって必要な、でも耳の痛いアドバイスをいかに集めるかというのは意識していたつもりです。なのにこの有様ですよ。競争優位なんてMBAの超基本なのに、スコンと抜け落ちているという。自分のことに客観的になるって本当に難しいなあと思う一方で、それを教えてくれたKさんに感謝しました。Kさん、私みたいな発想で失敗している人を散々見てるんだろうなー。引き返せるうちに気づけて良かった・・・。それ以来、アイデア自体は諦めていませんが、ビジネスプランは再検討中です。
私はその人にとって耳当たりのいいことばかり言うのは、優しさではないと思っています。たとえ耳が痛くても、その人の成長に必要なことを言ってあげることが本当の優しさだと思う。まあ、言い方がまずいとちゃんと伝わらないというリスクはありますけれども(私も今回Mさんがいなかったら分からなかったかもしれないし)。そんな私はKさんはすごく優しい人だと思うし、信頼しています。もう少しプランが形になったら、またKさんに見せたいと思っています。