お寿司は当然、ものすごく美味しい。私ごときが寿司を語るのはおこがましいですが、今まで食べていた寿司とは別物にしか思えない。ご主人、アナタ天才です。
そのご主人は知識も大変豊富で、話がとても面白かった。例えば蓼と蓼酢を添えた稚鮎の塩焼きが出たのですが、なぜ鮎には蓼なのかということを話してくださいました。私は「鮎と蓼」という組み合わせは知っていたけれど、その由来は知りませんでした。でも、由来を知らないということは、結局アレンジができないということなんですよね。逆に言えば由来を知っているからこそアレンジが楽しめるし、自分の幅が広がってゆく。ご主人いわく職人でもそういった知識のない人が増えているとのことで、だからこそ「いろどり」のようなビジネスが成り立つのだなあと実感しました。
あとご主人のことばで印象的だったのが、「技術を使うには心が必要」ということ。寿司を握る技術なんて練習すれば誰でも身につけることができる、でも技術は所詮手段であって、それを何のために使うのかという目的すなわち心がなければ、その先に行けないという意味です。自分はこういう風にお客さんに喜んでもらいたい、という心があるが故に、蓼の由来のような知識を備えたり、技術を更に磨いたりができるのだと。
ご主人は寿司職人の話でしたが、これは研究者にも言えることだとつくづく思いました。私は今、博士課程でPh.D.を取ろうしていますが、資格としてのPh.D.は「研究技術を習得しました」という品質保証に過ぎないため、それの取得が目的だとは思っていません。技術は大前提ですが、でも技術は技術でしかなく、そのうえで何のために研究をするのかという心が無いと、研究者としては二流だと思います。実際、尊敬する研究者と話していると、その中には必ず何かの信念や哲学が存在しますし、その研究アプローチは年月を経て周りの環境に従って変化してきているものの、根っこはぶれていない(第一、何十年もの環境変化に耐えられない信念なんて、それは信念と呼べるレベルのものじゃないと私は思う)のを感じます。
寿司職人も研究者も、心こそが、その人を一流たらしめているんだなあと、ご主人の握るお寿司を食べながら考えていました。
そこでふと気付く。
ああ、だからDoctor of Philosophy(Ph.D.)なのだと。
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