これは社会人教育畑出身の私が学部教育に移ったときに感じた、大学生が社会人と接する機会がないという問題意識から始まったものです。大学と地域社会の接点であるオープンゼミは割と好評で、毎回40人程度の参加者を学内外から集めるようになり、学生はもちろん学外の参加者からも「学生の意見が新鮮」「抱えていた課題を違う角度で考えられるようになった」といった声をいただいていました。この規模のセミナーを3人で運営する国保ゼミ1期生の姿を見て、学生を見直したと言ってくださる社会人もおり、このような場は継続していきたいと考えていました。
2010年のオープンゼミの様子
そんな中で、あるシンポジウムにて長尾彰さんに出会い、「静岡県立大学でフューチャーセンターを立ち上げませんか?」と声をかけられたのがいちばん最初のきっかけです。その時点ではフューチャーセンターのことを聞いたことはあるという程度でしたが、直観的にオープンゼミの延長だと思っていました。で、ゼミ生に尋ねてみたところ面白そうだからやりたいということだったので、じゃあやろうか、と。ただ立ち上げるならオープンゼミ同様、学生主体でやろうと考えました。
まず、そもそもフューチャーセンターって何?ということを理解するために国内外の事例を調べ、富士ゼロックスKDIさんやコクヨさんのフューチャーセンターに視察に行ったりしました。視察には私だけでなく学生にも行ってもらいましたが、学生の主観的な感想は本質的なところをおさえていることが多く、例えば「今回ディスカッションを十分できたとは感じることができなかったという点で不完全燃焼なのですが、その理由を考えてみると、会場が広くてすごくおしゃれな場だったので、ちゃんとした意見じゃないと発言してはいけないような感じがして、雰囲気にのみこまれてしまったこともあげられます。」などという意見は、空間をデザインする際にすごく参考になりました。
またそれと並行して、長尾さんがフューチャーセンター立ち上げに向けて、チームビルディングのワークショップをオープンゼミの枠で4回シリーズで担当してくれました。このオープンゼミは回を重ねるごとに参加人数が増え、フューチャーセンターの下地を作っていきました。
チームビルディングのオープンゼミ
ただ、そうやって立ち上げに向けて動き出してはいたものの、現状のオープンゼミでも特に不都合を感じていなかったので、わざわざ「フューチャーセンター」と冠する必要性については納得がいっていませんでした。その考え方が変わったのは、3.11がきっかけです。
3月22日の第8回オープンゼミを控えた2011年3月11日に、東日本大震災が発生しました。静岡は幸い大きな被害がありませんでしたが、テレビや新聞で報道される被害の大きさに言葉を失い、刻一刻と明らかになっていく危機的状況を見て、自分や日本の将来への不安が募っていきました。静岡の自分たちが何もできないことでの焦燥感も大きく、そういった周りの状況と学生たちの希望で、3月22日のオープンゼミは当初予定していた「チームビルディング(4回目)」から急遽テーマを変更し、被災地から離れた静岡に住む自分たちに何ができるのかを学生と社会人が一緒に考える機会としました。
2011年3月22日の様子
そして、そのオープンゼミの中で気づいたのは、社会人は「どうやって元に戻すか」という発想になりなかなか前向きな意見が出にくいのに対し、学生たちは「無いなら無いでしかたない、無いことを所与としてどうすればいいのか」というゼロベース思考で将来を考えるため、ポジティブでクリエイティブな議論になりやすいということ。そして、これから社会に羽ばたいていく若い学生たちは希望の源であり、こういう人達がこれから社会を担ってくれるなら日本は大丈夫だと希望を持てたことから、この希望をもっと広げていきたい、広げなければならないと考えるようになりました。
その手段として、学生たちと一緒にポジティブかつ未来志向で対話する場を定期的に開催し、その場に「フューチャーセンター」というラベルを張ることで場の方向性を明確に打ち出し、人が集まりやすいようにしようと考えたことで、設立を決意するに至ります。
その当時のブログ記事:
震災とフューチャーセンター(2011年04月06日)
→(2)立ち上げ前にやったことへ