この日、私はゼミの学生たちと一緒にその時間を迎えました。2,3月はフィールドワークのためにほとんどの時間を東北で過ごしていますが、この日は全員の予定があうのがここしかなかったことから、3か月前から合宿として計画しており、仙台から静岡に向かいました。
フィールドワークで東北を回っていると、膨大な震災の爪痕に自分の限界を思い知らされます。しかしこの日、私は学生を眺めながら、やはり自分ができること・すべきことは、社会で活躍する人材を育てることしかない、そうやって世の中に希望をもたらしていくことしかない、という気持ちを新たにしました。
国保ゼミの春合宿では、今月卒業する4年生から過渡期の3年生、ゼミ配属直後の2年生が一堂に会することで世代を繋ぐ機会と位置付けています。4年生にはゼミで過ごした2年間で学んだことを、3年生には1年で学んだことを、2年生にはこれからの2年間のゼミ生活でやりたいことを発表してもらいますが、それぞれの発表とコメントを聞いていて、ゼミ生たちがどんどんタフで前向きになっているのが見て取れました。ゼミ活動の根幹は、自分で選んだプロジェクトの運営です。その過程では、必然的に多くの失敗を経験することになるわけですが、周りの仲間に支えられることで、失敗に挫けずにまた立ち上がって次の行動につなげることができます。そしてそのプロセスの中で、経験に基づいた「根拠のある」自信を身に着けていきます。
自発的に行動し、失敗を重ねてもまた歩き出す若い人の姿は、周りに希望を与えると思っています。私は2年前に、そういう人材を輩出することで、社会に希望を生み出すことが、今の自分にできることだと考えたのでした。とはいえ人を「育てる」というのはややおこがましく、私ができるのは学生たちが育つための環境と機会を提供するところまでなので、若い人が挑戦できる場所を創ろうと思いました。ゼミ生たちが国保ゼミのタグラインとして国保ゼミ=「挑戦できる場所」というフレーズを考案してくれていますが、これは、私の目指す方向性を見事に表現してくれています。
挑戦できる場所は、裏を返せば失敗できる場所でもあります。挑戦は必ず失敗の可能性をはらみますので、大きなトラブルを招かないための配慮は私がやるにしろ、失敗した人を支え、くじけそうな人を奮い立たせるためにはどうするか。そのセーフティネットは、挑戦する人を支えるコミュニティだと思っています。失敗しても受け止めてくれる仲間がいる、失敗を失敗に終わらせず次につながる学びに変えてくれる仲間がいる、という気持ちは、人を強くします。そういうことを考えて、2年前にフューチャーセンターを立ち上げたんだったなあ、と改めて思い出しました。その成果が少しずつですが生まれてきていることを感じる合宿でした。
大丈夫です。
次の社会を支える若い世代がしっかりと育ってきています。