で、そういう非合理性や他律的なところがちょっとイヤになり、自分の実力で稼いだほうが楽だなあと考えました。
なので、大学を卒業後は迷わず営利企業(外資系ソフトウェアベンダー)に就職しました。外国人が多く社内公用語は英語というユニークさに惹かれましたが、日本法人は立ち上がったばかりでもカオス状態。人が足らず入社直後に現場に放り込まれてたいへん苦労しましたが、個性的で優秀で適当な人が多い会社はすごくすごく面白かった。周りにいっぱい叱られたし、勉強は大変だったけど、自分の腕で稼ぐというのは楽しく充実してました。
そうこうするうちに時代はITバブルに突入。売上は急増し、社員持ち株制度のある我が社は皆が浮かれていました。しかし盛者必衰、バブルははじけ、一時は60ドルを超えた我が社の株価は落ちまくって1ドルを切るまでに。特に米国本社は、ITバブルの代名詞のように扱われました(このあたりは、MITスローンスクールのクスマノ教授が「ソフトウエア企業の競争戦略」でケースとして分析しています)。そして会社が傾き始めると、我先にと逃げ出す社員。オイオイ、会社の電話でヘッドハンターと打合せするなよなー。
そういうのを見ていると、資本主義の限界を感じたというと大げさだけど、お金でできることって知れてるんだなあと感じてしまいました。自分が社長だったら、こういうときこそ支えてくれる社員や組織であって欲しい。でもそれは決して高い給料で実現できるものではないんだなと。
これらの経験を踏まえて、中庸はないのか?と思っているときに「ソーシャル・ベンチャー」という概念に出会う。
ビジネスの効率性は働く人のストレスを軽減するし、自律性・持続性をもたらします。ノンプロフィットの価値共有は、働く人の幸せ感を高めるし、低コストで従業員満足度を上げます。ビジネスとノンプロフィットは対立するものではなく、互いに相手から学ぶことで、みんながHappyな組織になるのではないかと思った。そこでソーシャル・ベンチャーという融合型組織を研究することで、ビジネスがノンプロフィットから、ノンプロフィットがビジネスから学ぶエッセンスを抽出しようと考えたのです。
一方で現場を見ると、通常のビジネスを成功させるだけでも大変なのに、ましてやノンプロフィット・ベンチャーなんて儲かるわけがないという意見がある。しかしいわゆるビジョナリー・カンパニーと言われる会社がやってることって、極めてノンプロフィットと近い。でもノンプロフィットは経営に苦しんでいる。何なんだこの矛盾は?という疑問が全ての根底にあります。
ところで経営やノンプロフィットの研究は事例中心のアプローチです。でも事例研究の限界として、セオリーに出来ない(=予測に使えない、レプリケートに使えない)。なのでそこはどうしても理論でバックアップすることが必要。またロジックやデータがないと、昔の自分みたいに他人を説得することが出来ないので、そこを強化せねばと思いました。
また、ノンプロフィットにビジネス感覚を取り入れる、あるいはビジネスにノンプロフィットの感覚を取り入れるというのは、組織変革であり、異質なモノに対して人や組織は反発します。私は、前職で業務改革プロジェクトをやっていた経験から、組織を変革するには真っ向から説得しても無理で、事実やデータを添えて非指示的に教えることで自分で気付かせなくてはならないと考えています。で、この「非指示的」とか「気付かせる」という点においては、ケースメソッドはとっても得意。これが、私が教育にケースメソッドを用いる理由です。
振り返るとすっごい遠回りですが、最初から目指していたわけではなく興味をたぐっていった結果なのでこんなものかな。
なお私はあまり自分が社会を変えられるとか、人を変えられるとは思っていません。そんなの私ごときじゃ無理だろうし、そこまで他人に押しつける気もない。だけど「伊東家の食卓」みたいに知ってたらお得なことが世の中には幾つかあり、その1つとして伝えていければいいかなと思っています。
あと、周りがどうであれ、少なくとも自分はやってて楽しい。だからあまり背伸びせず、マイペースに行きたいと思います。