2012年11月13日

フューチャーセンターの効果

先日、フューチャーセンターを始めて1年がたちました。研究室では、周りの方への感謝を示そうと、ささやかなパーティを行いました

フューチャーセンターの経緯についてはこちらにまとめていますが、ここではフューチャーセンターがもたらした効果や変化について、書きとめておこうと思います。

まず、想定していた効果(最初に持っていた仮説)について。

元をたどると、社会人教育しか経験がなかった私がビジネススクールから学部教育に移る前に、どういう教育が求められているのかを周りにヒアリングしたときに抱いた問題意識が発端です。学部教育に携わる前の企業の人材育成の現場では、「今の若い子はチャレンジをしない、指示したことしかしない、すぐ凹むので叱ることができない」等の話をたくさん聞きました。で、そこにどんな構造的な要因があるのかを各所にヒアリングしたところ、“チャレンジのポジティブなイメージが無い”、つまりチャレンジして失敗して怒られたり笑われたりというマイナスのイメージは出来るのに、成果が出たときの快感や喜びはイメージ出来ない(知らない)んだそうです。そりゃあチャレンジする気にならないね、じゃあポジティブなイメージを持ってもらうにはどうすればいいかな?と考えました。

ちなみに混同されやすい概念ですが、「チャレンジ」と「リスクテイク」は違う。私としては、リスクはできればとらない方がいいけれど、チャレンジする人は増えてほしいと思います。で、そうなると大学というのはまたとない環境だと思うんですよね。失敗が許されるし、学生ということで大目に見てもらえることも多いし、背負っているものも少ない。リスクなんて無いに等しいです。一方で、人は年をとればとるほど背負っているものも増えますから、チャレンジに対する耐性が低くなるし、その結果として頭が固くなっていくことを感じます。なのでチャレンジの結果として成功体験を得られるに越したことはないけど、例え成功しなくても「チャレンジをした」という経験はその後の人生の財産となるから、学生のうちにたくさんチャレンジをしてするといいのではないかな、そのための環境を提供したいなと考えています。

とはいえ、チャレンジは当然ながら必ず成功するわけではありません。というか、成功率100%のものはチャレンジとは言わないので、どちらかといえば失敗する方が多い。なので、成功しなかったときにサポートするシステムというか、転んでもすぐ立ち上がって、もう一度歩きだせるような仕組み(セーフティネット)があることが大事ではないかと考え、私は、これを人のつながりで実現しようと思いました。チャレンジャーやリーダー特有の苦労に共感してくれて、支えてくれる仲間がいるとき、人はけっこう頑張れるということを自分の経験から知っています。1人で悩んでるとすごく辛いし袋小路にハマることが、人と話してみたら意外とあっさり解決したりするので、フューチャーセンターをチャレンジャーのための支援コミュニティとして機能させることで、小さなチャレンジの灯を消さずに済むし、その結果として個人の小さな行動が大きな影響力となることを期待しました。

1年経ってみて、これはわりと実現できているように感じています。その根拠となる指標は、フューチャーセンターに相談ごとを持ち込む人(延べ数だけでなくユニーク人数)が増えてきているからです。最初はただ参加してきた人が、帰るときに「次は相談事を持ち込みたいです」と言ってくれることは少なくないし、実際持ってきてくれます。また、少なからずプロジェクトの継続にも役立っており、フューチャーセンターがなければ途中でしぼんでいたであろうというチャレンジもけっこうあります。

次に、やってみて改めて実感したことについて。

まずイノベーション醸成という視点から。

事業のネタは、最初はとてもとてもささやかなもので、それが創発的なコミュニケーションを経てしっかりとしたアイデアに育っていきますが、その時に大事なのはそのささやかなアイデアを気軽に話せる相手がいることだということを、私はビジネススクール時代に実感しました。ふと思いついたことを話して、共感してもらえる嬉しさとか、自分にとっては大した価値があるように見えないアイデアが意外と評価されたり(もちろん逆もあります)。普通のサラリーマンをやっていた私の日常の中ではなかなかそういう話にならないので、ビジネススクールの同級生の存在がありがたかったです。で、「ささやかなアイデア」を言語化し、周りの知恵を巻き込んでブラッシュアップすることで次のステージにつながります。ですが、この段階で言語化しないと、そのアイデアは日の目を見ずに消えていくか、極めて未熟な段階で留まってしまいます。ですので、イノベーションをシステマティックに生み出すためには、この危うげなフェーズを次につなげるための機能が必要だと考えているのですが、ビジネス相談会のようなかっちりとした場では完全でないアイデアは口にしにくいものです。それがうちのフューチャーセンターだと、「まだちゃんと固まってないけど、ちょっと相談してもいいですか?」という軽い相談がとても多いのです。毎週2〜5個のアジェンダが持ち込まれますし、持ち込まれたアジェンダが実際にイベントになったり、ビジネスプランになったり、経営的意思決定に結びついたりということが起こっています。

これが実現できている要因は、学生の存在が醸すメッセージだと分析しています。まず、ポジティブで活発なディスカッションに必要な、ゼロベース思考と、ヒエラルキーフリーのコミュニケーションは学生の十八番です。加えて、人は搾取する意図がない相手を信頼する傾向がありますので、利害関係を感じさせない学生は信頼関係を構築しやすいのです。

さらに、学生がオーナーシップを持つ場では、人は自分にも相手にも完璧であることを期待しなくなります。普通の人は、学生が完璧な存在であるとは思いません。そんな学生がファシリテーションをしていると、多少そのファシリが危うげでも周りの人が手を差し伸べてくれるというか、皆でなんとかしようぜという雰囲気になります。これが企業フューチャーセンターで、プロのファシリテーターが相手だと参加者がお客さんになってしまうというか、サービスを「与える人」と「受ける人」という構図ができてしまいやすいのですが、うちの場合、そもそも学生に隙のないファシリなんて期待しないから、参加者が場の雰囲気に責任を感じてくれるというか、主体性をもって参加してくれるのです。この場が醸す「完璧でなくてもいい」というメッセージというのは、割と人を安心させるみたいで、「居心地がいい」「発言しやすい」という感想を、本当に本当によくいただきますし、それが先のささやかフェーズを支えています。

次に人材育成機能の視点から。

大学に身を置く身として、昨今の就活システムへの問題意識は強いです。大学生にとっては社会への入り口が就職活動だと思いますが、そのデビュー戦で何十社も面接で落とされたら、人格を否定される気になるだろうし、自分は社会に必要とされていないと感じてしまうと思います。そんな若者に社会や会社のために貢献することを期待するのは無理があると思うんです。なのでこれから社会を支える人材である学生には、「社会は皆に期待している、皆の活躍を心待ちにしている」「社会人ってカッコいいな、いつかあんな社会人になりたいな」という実感を持ちながら社会に出て行ってほしいと日々思っています。かつ、躓いたときは周りの人をうまく頼ってほしい。最近言われる3年以内の離職率は、頼り下手や頼られ下手が増えたことに起因する、という仮説を私は持っています。ちょっと相談したら解決することを相談せずに(相談させてあげられずに)、自分を追いつめてしまうのではないかと。

とはいえ、社会一般としては、学生に対して優しく接してくれる人ばかりではない、というか、優しい人より厳しい人のほうが多いと思います。ですので、最初からそんな荒波に突っ込んで心折れるよりは、最初は学生にやさしいコミュニティで慣らし運転をしてから、外に出ていけばいいのではないかと。そんなときに学生に理解のある社会人の多いフューチャーセンターは最高のデビューの場です。

ところで、この懐の深さは本来社会が備えていたものなんだろうと思います。年配者が苦笑しながらも若輩者を育成する、という機能がもともと社会にはあったと思うし、私もそうやって先輩方に育ててもらったと思っています(だからこそ今後輩を育てる側に回ろうと思うわけですが)。それが社会の変化で余裕がなくなり、こういう長い目で見た人材への投資が行われなくなってきているのだろうと感じています。これまでなんとなくうまくいっていたことが、社会の変化でいつの間にか損なわれて、その結果、近年生まれた穴ぼこなんだという理解です。フューチャーセンターはその穴ぼこを埋めるための手段ですね。

一方で社会人の人材育成という意味でも結構効果があると思っています。要は、若手との付き合い方を学ぶ機会になるんですよね。過去の自分を含め、社会人がなぜ自分より若い人たちを怖がらせてしまうのか、なぜ上から目線コミュニケーションしかできないのか、というのが不思議だったんですが、だんだん、若い世代に慣れていなくて上から目線コミュニケーション以外の方法を知らない(上から目線になっている自覚すらない)のだということもわかってきました。というのも、接触頻度があがると上から目線コミュニケーションが修正され、同じ目線で対話できるようになっていくからです。考えてみれば、この採用抑制の時代に大学生世代と話すことって少ないですよね。学ぶ機会がないなら仕方ない。これももう1つの穴ぼこであり、フューチャーセンターで埋めたいなと思っているものです。

もう1つ、研究者としての私の収穫としては、人の学習プロセスを観察できることです。

特に学生という経験値が圧倒的に不足している人材が学習するプロセスを観察できるので、「経験がない」ということがどういうところに影響が出るのかがよくわかります。自分で経験して、その経験を抽象化(理論化)して、その抽象概念の操作能力を身に着けていく、というプロセスで人は成長するのだなーと感じているんですけど、(この辺は今後ちゃんと勉強したいところ)、経験が少ないと抽象化は難しいものです。今まで1人しか好きになったことがない人が、恋愛論を語ることに無理があるのと一緒です。抽象化があんまりうまくないから、他所の事例から学ぶ力にも限界がある(抽象化というプロセスを経て初めて活かせる情報なので)。大学や大学院の最後に、論文作成という抽象化トレーニングが課されているのって妥当性があるなあと思います。また、経験がない人の学習プロセスを理解したことで、若手人材の育成の場面でどういった教育が効果的なのかをデザインできるようになりつつあります。これも収穫。

とりあえず、今感じているのはこんなところです。以上記録として。

IMG_4991.JPG
居心地だけは自慢できるわがフューチャーセンター。






posted by Kokubo at 17:36| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域と大学(フューチャーセンター) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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